うんこな議論 Bullshit

少し前に「不平等論」ハリー・G・フランクファート著(山形浩生訳・解説)を読んだきっかけで知ることになった「うんこな議論」なるすげぇインパクトのあるタイトルの本を読んでみた。
現代社会はうんこまみれ、(失礼)いやうんこな議論や屁のごとき理屈にまみれていると著者は言う。このうんこと屁理屈な議論とはなんであろうか、なぜ人々はうんこな議論を続けるのかってことを哲学の研究対象として、本書にコンパクトに凝縮されていますぞ。その同じくらいの分量の訳者の解説も必読ですが、この解説がないとなにやらわかったようなわかないようなうんこな議論の迷路を彷徨うことになること間違いないね。
たまには、こんな本に触れることもいい刺激になっていいかも。

ウンコな議論

ウンコな議論

魚が食べられなくなる日

勝川俊雄先生の著書を初読み。
意外と知られていない漁業の実態をわかりやすく解説されており、的確に問題提起をされています。

戦後、動物性たんぱく質の源として海洋国家である日本の資源であった魚が注目され、一気に漁業が盛んになり、世界一の漁業国となった。
その後、公海の自由をいいことに他国の資源を乱獲したことにより、国際的な非難に晒されることになり、EEZ200海里が設定されることになった。
日本の漁業は、漁獲高至上主義的なところがあり、なにせ早い者勝ちで資源の争奪戦を繰り広げており、資源管理という観点が完全に抜け落ちている。
さて、日本では農業、漁業というと高齢化、後継者問題、などがクローズアップされ、衰退産業というイメージが強いと思う。いわゆる産業の中の弱者という位置づけにあり、政府からの補助金によりなんとか維持されているような感じではないだろうか。
ただ、「食」という観点から見れば、世界的には食料の確保というのはもっとも重要な課題であり、衰退産業であるはずがなく、逆になくなてはならない産業であると思う。本書でも水産業の世界の状況をデータで示されているが、マイナス成長である国は、なんと日本だけである。
結局のところ、獲ることばかりに目がいっており、資源管理という観点がまったく抜けていることが、日本の漁業が衰退している根源であることが、よくわかる。
ノルウェーなど漁業が成長産業である国の事例を紹介されているが、いかに資源管理を行い、漁獲規制を適切に行うことで、質、量ともに安定させ、如いては適正な価格で販売し利益を得ることのできる仕組みが確立されていることがよくわかる。
考えてみれば、当然のことであり、単純な自由競争=日本の漁業のような早い者勝ちであれば、資源が枯渇すればその産業は消滅することは自明である。
衰退するべくして衰退に道を歩んでいる日本の漁業の実態と他国の事例を知ることで真実が見えてくる。

魚が食べられなくなる日 (小学館新書)

魚が食べられなくなる日 (小学館新書)

久々のブログ更新

久々にVoice(10月号)を購入した。
チェックしたかった記事は、「特集 これでいいのうか、アベノミクス」片岡剛士氏の「リフレ政策を再起動させよ」だ。
2015年の4−6、7−9、10−12そして2016年1−3、4−6のGDPの実績数値から見ていくと、民間消費、民間投資、輸出の低迷が認められ、アベノミクスの肝である大胆な金融政策と機動的な財政政策がうまく機能していないことが原因と指摘している。日銀の金融政策は量、質に加え金利を緩和手段に加えマイナス金利を導入したが、信用創造機能の中核である銀行の経営を圧迫する副作用のほうが強く出てしまっていることを問題としている。財政政策においては「未来への投資を実現する経済対策」を閣議決定したが、真水額が過少であり、これは政府が財政健全化を意識するあまりに大胆な政策に踏み切れない「臆病者の罠」(クルーグマン)に陥っていると指摘。経済政策の両輪である財政・金融政策の再構築が必要と問題提議している。
ちなみに、「未来への投資を実現する経済対策」については、本誌のニッポン新潮流で飯田泰之准教授が「短期経済政策が未来への投資を実現する」に(財政政策、金融政策ともに)「絶え間ない短期経済政策が継続的に行われることへの信任を得ることこそが、いま必要な経済政策なのである。」と締めくくっている。
今週は日銀の金融政策決定会合に注目が集まるが、まずは再度レジームチェンジの期待を増幅させることができるのか?を見ていきたいところだ。


「不平等論 On Inequality」を読了した。
訳者でもあり本書の解説者でもある山形浩生さんの訳本。
なかなか手強い内容の本だったな。まぁ哲学が専門の名誉教授の著書だけあって、哲学的で抽象的な議論になっていて読み慣れていない私にとっては理解できそうで理解できない、なんとも難解な本という印象か。
この哲学者の格差論の柱になっているのが、平等主義はなんら道徳的な価値はいっさい関係ない!ってことに終始している点。第三者が格差を問題視し格差是正のために万人は平等に均等に同じものを所有するもしくは分配するっていう考えを真っ向から否定し、重要なのは万人が十分に所有することであると、他人と比較してなにの意味があるのか?重要なのは自分がどうなのか?であると!
訳者の解説が本文とおなじくらいのページ数を割いて、著書の議論に踏み込んでいこうとしているところも面白く、本文と同じくらいに読む価値があるかな。訳者は著者の経済的平等主義にまったく道徳的価値はなしとの議論に一定の理解を示しつつも、この哲学的でかなり狭い中での議論に危険性をはらんでいるとも指摘している点が興味深い。
とはいいつつも日本の中でこの格差議論を取り上げる際に、その論者の偏った価値観だけで議論が展開される場面をよく目にすることがあるが、このような場面においては「平等主義にはいっさいの道徳的価値はなし!」というのがドンピシャだと思うのだが、どうなんだろうね?

不平等論: 格差は悪なのか? (単行本)

不平等論: 格差は悪なのか? (単行本)

"Nobel laureate Krugman calls for tax hike delay, stimulus measures" from The Japan Times

I translate an article from The Japan Times on March 23, "Nobel laureate Krugman calls for tax hike delay, stimulus measures"
This article source is as follow:http://www.japantimes.co.jp/news/2016/03/23/business/economy-business/nobel-laureate-krugman-calls-tax-hike-delay-stimulus-measures/#.VvNqpPuLTIV
Remark;It is to take notes what I focus on and enhance my ability of English.

ノーベル賞受賞者ポール・クルーグマンは景気刺激策として消費税増税の延期を求める。”

ノーベル賞受賞者の米経済学者であるポール・クルーグマン氏は来年4月に予定している消費税増税の延期と脱デフレに向け新たな景気刺激策を打ち出すことを強く主張した。
「消費税を引き上げないように求めた。」とクルーグマン氏は安倍首相及び政府高官との会合後に発言した。「単に増税の延期だけでなく、事実上の計画的な刺激策で後押しするべきである。」

昨今の世界経済の減退の中、クルーグマン氏は記者たちへ以下のように発言した。「世界第3位の経済の日本は低金利金融緩和政策に大きく頼っているが、まだデフレから脱しておらず、金融緩和を補強するための財政政策を行うべきである。」
ノーベル経済科学賞を受賞した金融緩和を通したインフレターゲット提唱者であるクルーグマン氏は、2014年11月に2015年10月に予定されていた最初の増税をデフレ退治のために延期するべきと安倍首相に強く主張した。その後、安倍首相は18ヶ月まで増税延期を決めた。

5月後半に日本で開催されるG7に関しては、クルーグマン氏は「先進国全般に広がる景気失速と新興国の深刻な問題がある。」、また「2009年のG20で採択されたと同じく”協調的な景気刺激策”が必要である」と発言した。

日本政府へ見解を提案するために招聘された専門家たちは、世界の経済見通しと日本政府は消費税率を引き上げるべきか否かについて意見が分かれている。

先週には、ノーベル賞受賞した経済学者であるコロンビア大学教授のジョセフ・スティグリッツ氏は悲観的な景気見通しと増税の見送りを示した、一方でハーバード大学教授のデール・ジョルゲンソン氏は楽観的な経済見通しを示し、特定の時期は示さなかったが消費税増税は必要であると提言した。

彼らの提言は消費税を現行の8%から10%へ引き上げるべきか否かの日本政府の決定に影響を及ぼすと期待されている。

安倍首相の経済制裁区のアドバイザーである本田悦郎氏は「首相は5月のG7サミットの成果をもとに増税の是非を決定するだろう。この問題への発言は増税を容認派と反対派との”競争”に変わる。」と土曜日に発言した。

三重県で開催される5月26日から27日のサミットでは世界経済の安定が議論されることを期待されている。G7はイギリス、カナダ、フランス、イタリア、日本とアメリカで構成されている。

子供の最貧国・日本 山野良一著

Twitter田中秀臣先生@hidetomitanakaのつぶやきで同書の書評(日経ビジネスオンラインへの投稿記事:http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081128/178627/)を拝見し、読む機会を得た。
著者の山野良一さんは、児童福祉司に従事され国内だけでなく、アメリカでインターンの経験も豊富な方である。その現場を通じ見えてきた子供の貧困、児童虐待の実態を国内外の事例を取り上げ、その原因、検証を貧困等にかかわる様々な調査、研究から得られたデータをもとに明らかにしていこうとうする試みが同書の肝になるところである。
著者によれば、日本の子供の貧困率OECD等のデータから2000年時点で26ヵ国中10番目の高さ(14.3%)だという事実があるにも関わらず、日本ではこれを社会問題としてほんとど取り上げることもなく、調査・研究も進んでおらず、子供の貧困を日本全体がネグレクトしてきたと指摘されている。
ちなみに、直近の子どもの貧困率についてググって見ると、朝日新聞デジタル2012年6月10日付け「子どもの貧困率、日本ワースト9位 先進35カ国中で」
http://www.asahi.com/edu/kosodate/news/TKY201206090128.html 
ユニセフの調査データでは日本は2009年時点の所得を基にしているが、年々悪化の傾向にあることが明らかになっています。
(同じくググった結果から、NHKのサイトに【視点・論点 「子どもの貧困 日本の現状」】
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/122784.html
という解説記事があり、同書にも同じ内容が指摘されています。)
また、子供の貧困と同時に社会問題として取り上げられる児童虐待について、これまでその原因を親も子供の頃虐待を受けていた経験から、同じことを自分の子供にもしてしまう世代間虐待やアルコール依存症等などに見られる衝動性をコントロールできず虐待を繰り返す病理的側面とすることが主流であったが、著者の主張は貧困との関連性が強いことを様々なデータをもとに指摘されている。
そして、その子供の貧困、児童虐待の実態から見えてくるものは、なんとか生活していこうと必死になって働く親の姿であり、その苦労とは裏腹に一向に生活は楽にならず、著者の表現を借りれば、「漏斗の底にいる家族たち」というようになかなか這い上がることができず、漏斗の底でもがき苦しんでいる実態であり、その解決策の糸口となるのが、「家族の所得」との相関である。
様々な研究データから、「家族の所得」が向上することで児童虐待が減少することや子供の学力などへの影響に強い相関があるとし、よく原因として指摘される家庭環境や親の学歴などの要因をコントロール(考慮)しても「家族の所得」と子供の貧困、児童虐待との間には強い相関が残っているという主張が同書の一番のポイントである。
この問題は詰まるところ、所得の再分配社会保障問題につながっていくと思うのですが、同書が発刊された2008年にはリーマンショックにより世界的に経済が低迷し、日本でも貧困問題や生活保護問題などセーフティーネットがクローズアップされて、ようやくこれらの問題が社会問題化してきたように見えますが、最近では生活保護の不正受給や増大する受給率から生活保護費を削減するというような逆行する議論もでてきており、貧困という問題に真剣に取り組もうとする状況にはないように思われます。その根底には、自己責任論的な主張がまだまだ根強く残っていることの表れかもしれません。
最後に同書から以下を引用したいと思います。

逆に、貧困な子どもたちの発達の保障を考えるとき、家族の所得を増加させることがまず一義的に考えていかなければならない点でした。所得の増加は、家族のストレスを減らし、子どもの発達を促す遊具などの購入や、良い環境の住居で暮らす機会の増加を家族に与え、子どもの成長を促進することができます。
子どもたちの貧困の実態にまったく目を向けようとしないことで、結局、日本社会は大きな社会的損失を被り続けているのかもしれません。子どもたちは、貧困状況の連鎖のなかでもがき、その才能は生かされないままに、かえって発達上のさまざまな課題を背負ったまま次の世代へと、つまり親になっていきます。
そこで生じる社会的な損失とは、この本全体で見てきたように、子ども個人個人の問題と見えているものが、結局、社会全体の生産性の減少へとつながり、貧困な状況に置かれた個人や家族のやる気を奪い、精神的な疾患などのさまざまな障害にさえつながる可能性を持つものです。結局、問題を放置し続けることで、逆に医療費や社会保障費などの社会的コストの増加につながってしまいます。

もうダマされないための経済学講義 若田部昌澄著

経済学はなんだか難しそう、経済ってそもそもなんだろう?という方にはお勧めの一冊です。若田部先生が、難解な数式やデータではなく、わかりやすい言葉で講義を進めてくれます。特に、歴史を知る、歴史に学ぶという視点で世界大恐慌や日本の高度成長期、バブル前後の歴史を紐解きながらの講義は、とても勉強になりますし、歴史を正しく理解することの大切さも学ぶこともできるのではないかと感じた次第です。
さて、その講義の一端を紹介していきましょう。
冒頭の「はじめに―なぜダマされてしまうのか?」では、講義の予習編となっています。
経済学を学ぶ上での四つの概念(キーワード)は、インセンティブ、トレード・オフ、トレードそしてマネーであるということ。
第一講義では、よく耳にする議論でもある、経済成長って必要なの?、市場の役割、政府の役割ってなに?、自由貿易ってどうなの?そして、インセンティブの力って?という点を端的に解説されてます。主義主張の違いあれど、経済学の目指すものは、資本家や金持ちの味方することでもなく、金を稼ぐための学問でもありません。市場を通じて、そこに参加している双方にメリット(利益)をもたらし、全体の利害にとって一番よい結果を出すためにはどうしたらよいのかを考える学問であるということ。そのために、市場というものを良い方向へ促進させていこうと考えていくのが経済学であるってこと。
第二講義では、再分配とトレードオフについて、田中角栄日本列島改造論による高度成長期を事例に講義が進めれています。田中角栄が実現しようとしたこと、都市から地方へ、金持ちから貧乏人へという再分配であったのだが、このことが経済学的には正しかったのかどうか。著者によれば、田中角栄に決定的に欠けていたものが、経済学的な考え方であると。なぜ都市に人々が集中するのか、その理由を正しく理解もせず再分配をやろうとしたという点を指摘されています。そういう意味では、今の政治家も経済学を理解し政策立案をしているのだろうか?という疑問を感じずに入られません。有権者である国民がすこしでも経済学を理解することで、それらの主義主張や政策が正しいのかどうかを見極める力を身につけることで、もうダマされないということにつながるのだろうとは思うのですね。
そのためには、経済学を学ぶ動機、いかにそのインセンティブが働くようにしていくか?が重要なんでしょうね。結果的にそのインセンティブが人々の生活の向上と安定につながっていくのだということが、広がれば日本の経済の先行きも明るいものになるような気もするのですが。
第三、第四講義が同書のもっとも重要なパートになりますね。マネーの話です。
マネーというとなにやら怪しげというか、次元の違うところの話というような感覚を持つ人もまだまだ多いような気がします。このパートで紹介されている世界大恐慌時の各国の状況、昭和恐慌時の日本の金融政策、それられに関連深いデフレや通貨、金本位制などのことが詳しくなおかつわかりやすく分析、解説されているので、ぜひ精読してほしいところです。
現代の管理通貨制度に移行した経済では、そのマネーを司る各国の唯一無二の政府機関が中央銀行、日本であれば日本銀行になるのですが、その日本銀行が運営する金融政策が、その目的である物価の安定、如いては雇用の安定を達成できているのかということを、明らかにしていっています。マネーの存在を正しく理解すれば、長年続くデフレも企業を苦しめている超円高の理由もおのずと理解できるというもの。そうすれば、日本銀行の行動か正しいのかどうか?、金融政策ももう少し社会問題として取り上げられるようになる気もするのですが。
その日本銀行がなぜデフレや円高を結果的に放置しているような金融政策をとっているのかも、彼らの政策運営のインセンティブがどこにあるかを考えれば、その理由の一端が見えてくるでしょう。その点も若田部先生がわかりやすく解説されてます。
経済学は、インセンティブの学問だという言いますが、それはお金にまつわることだけでなく、人々の行動にもつながる重要な要素であることが同書を読めば、わかってきます。そのことを理解できれば、日本経済を取り巻くいろいろな主義主張に触れたときに、もうダマされる事なく一人ひとりがその主義主張を見抜く力が備わってくると思います。

円のゆくえを問いなおす 片岡剛士著

3.11の震災以降、さらに深刻になった円高ですが、今年の2月14日の日銀の金融政策決定会合で発表された「物価上昇率の目途」として1%になるまで金融緩和を行うとしたことで、円安方向へ振れたのも束の間、その後の日銀の金融政策に大きな変化もなく市場の失望もあり、1ドル=79円台にの円高に逆戻りしている嘆かわしい状況にある。
その行き過ぎた円高の今後の展望を考える上で、最適な本が片岡剛士氏の最新著書である「円のゆくえを問いなおす」です。
同書では、為替レートを考える上で6つのポイントをあげて、それぞれの章で丁寧にわかりやすく解説がなされており、為替の基礎知識から経済問題や金融政策などについて理解するには、最適な内容ではないでしょうか。
同書を読んで自分自身が改めて理解できたポイントを勝手にまとめてみたい。
まずは、そもそも為替レートに影響を及ぼす因子って何?ということから。
今の円高を欧州の債務問題や米国の経済動向などの外部要因とする向きが大勢であり、為替市場では市場参加者によりそのような動きにもなっているかもしれないが、著者曰く円高(もしくは、デフレ)は自然現象ではなく、貨幣的な現象であるとしその点を踏まえると、為替レートに影響を及ぼす因子は、以下の三つになる。
物価上昇率、②予想物価上昇率、③名目金利
そして、この三つの因子を変化させることをできるのは、金融政策でありその政策を担う各国の中央銀行であり、日本の場合は日本銀行ということになる。
いまの円高トレンドが続いているのは、日本の物価上昇率の停滞、特に1990年代半ば以降においては物価上昇率が継続的にマイナスになるデフレが生じているからです。これは、円高、デフレは日本経済に悪影響をもたらすという6つのポイントの一つになり、その原因は先ほどふれた金融政策にあり結局のところその政策の失敗がいまの円高、デフレによる日本経済の停滞、失われた20年などと言われる由縁なんだと。
あと、同書の秀逸な部分は、第3章と第4章の「為替と経済政策を問いなおす」と題し、金本位制、固定相場制と変動相場制について過去の歴史を紐解きながら、日本経済へどのような影響を及ぼしているのか、欧州危機の現状と行く末を鋭く解説されている点です。
この章を読むと、過去の大恐慌のメカニズムの研究(歴史研究)からその原因を正しく理解・認識すれば、今やるべき正しい政策が見えてくるのだと思える。また、金本位制は、国際金融のトリレンマの好例として固定為替相場制の欠点(自律的な金融政策の重要性)を理解することができる。
欧州財政危機と大恐慌の関連性についても、国際金融のトリレンマから、資本移動の自由と固定為替相場制(金本位制、共通通貨ユーロ)を選択し、金融政策を放棄し、各国の状況に応じた金融政策ができず、ECBによる金融政策により各国への経済への影響が異なるということが理解でき、これからの欧州問題を見通す上で有用な視点になると思う。
詳しくは、是非同書を読んで欲しいのですが、タイトルの「円のゆくえを問いなおす」を言い換えれば、「金融政策のゆくえを問いなおす」ともいえるんではないかと思った次第です。
最後に、円高、デフレは天災(自然現象)ではなく、人災(金融政策の失敗)なんだよと。