海賊の経済学 ピーター・T・リーソン著 山形浩生訳

「海賊は合理的な経済人だった!面白くてしかもためになる。レヴィットらの『ヤバい経済学』に続くひさびさに痛快な経済書だ。」と、経済学者の若田部昌澄氏も絶賛とする同書。
これを読めば、海賊マニアになること間違いなし。そして、海賊の経済学の崇拝者になるかも?って思わすくらいの内容ですね。
本来、海賊ってのは無法者で犯罪者の集まりのはず。お宝のためなら拷問も人殺しも何でもござれってのが海賊のはず。でも、同書を読めば、海賊のイメージがひっくり返るかも。民主的に船長を選び、法も作り、時には人助けもし、もしかして海賊って賊じゃないんじゃないのって思うくらい。
でも、訳者あとがきを読めば、冷静に同書を理解できるはずで、あとがき中の「5使用上の注意」にしっかりと「ただし……本書の議論をそのまま鵜呑みにしてはいけない。本書は一部の経済学的な議論をあまりに単純化しすぎているからだ。本書を読んで「そうか、政府規制なんかまったく不要で人々の利己性に任せれば、道徳も倫理も自然に生れるのか!」というのはあまりにも早合点だ。」とまさしく、同書の使用上の注意が冷静な訳者ならではの、ご指摘が。
とは言いつつも、経済学の基本であるインセンティブからはじまり、プリンシパル・エージェント、ガバナンス、シグナリングブランディングなどを海賊の合理的な行動から楽しく学べるはず。でもでも、海賊がなぜ経済学の基本に忠実に、合理的に民主主義的な行動したかって理由は、良くも悪くも海賊本来のお仕事であるお宝を盗むことで、これは明らかに自己の利益の最大化を目指してるってこと。もちろん、その利益の最大化のためには、拷問もしたし人殺しもしたしと本来の海賊の悪のイメージ通りの行為もしてたってことを忘れちゃいけない。だって、海賊はあくまで賊なんだから。
さてさて、気になる内容ですが、まずは海賊船長から。海賊の船長は独裁者って思ってませんか?実はそうじゃないんですよね。民主的に選挙でしかも全員一致で船長を選んでたんですね。独裁的な権力が船長一点に集中するとなにが起こるかを知ってたんです。海賊って言うお仕事を効率的にやろうとすれば、やっぱりリーダーは必要なわけ。でも独裁的な船長だったら、せっかく手にしたお宝を独り占めされるかもしれない。そんなことになったら、折角一攫千金を夢見て海賊入りした意味がない。じゃあどうするかって言うと、必然的に船員が民主的にリーダーとなる船長を選ぶことが合理的と判断したわけ。万が一、選んだ船長がお宝を独り占めしたりしたら、その船長を罰し、船長の座から引き摺り落とし新たな船長を選んだわけですね。これも、海賊の利益最大化を目指した合理的な行動ってこと。
そして、船長だけじゃなく海賊全員の規律を保つために必要なこともあったわけで、無法者といえども、なんらかの法が必要だってことも気づいていたみたい。それが、独自の統治=ガバナンスを作り上げたってことにつながったみたい。もちろん、政府による統治=ガバナントじゃない。だって、海賊は政府っていう権力を嫌って海賊に成り下がった、いや成り上がったというべきか。先の船長を監視する役割も作ったし、お宝の分け前を公正にする仕組みも決めたし、危険を伴う海賊業では怪我で海賊業を続けられなくなるリスクもあるからいわゆる社会保障の仕組みも、逆に危険な行為を避けようとフリーライーダー船員の問題の対処方法も、独自のガバナンスを構築していった。まさに無政府主義の典型的なガバナンスを実現したわけ。でも、これも利益最大化を目指した結果の賜物。すべては、一攫千金を夢見て憧れの海賊になったのに、リスクだけ冒してお宝の分け前が少ないなんてのは海賊にとっては悲劇だからね。そのためには、狂気的な行動だけじゃなく、自分の利益の最大化を目指す海賊にとっての正しいインセティブが働いた結果の海賊民主主義の出来上がりということ。
でもでも、注意しなけりゃいけないのは、だからといって海賊の経済学が通用するかっていうとそうじゃない。海賊っていう限られた共同体というか経済主体だから成り立つのであって、そのインセンティブの基本は海賊が目指す共通の目的である金銀財宝などなどの夢のお宝を手に入れることがあればこそ。
訳者あとがきで触れている同書の「使用上の注意」をしっかり守って同書を読めば、その効用を利用できるかもしれないね。